金亀会だより

若原誉起(東55回)「チャンスの女神は前髪しかない(完全版)」(金亀会報第46号12面)

|2025年03月01日|

チャンスの女神は前髪しかない
TBSテレビ勤務 若原 誉起(東55回)
(彦根東高剣道部副主将・東京大学剣道部主将)

多忙を理由に滋賀にも非常にご無沙汰になってもう何年でしょうか。東京に長く居りますと、出身を聞かれた際に「滋賀」と答えると「あぁ、琵琶湖・・・」以上には返ってこないことがほとんどです。それ自体が変わらないのですが、さらに出身校を「彦根東」と答えると、「名門!」「あの甲子園で話題になった!」「赤鬼魂!!」と興奮気味にリアクションして下さる方が年々増えているように感じ、そんな所から母校の勢いを感じる今日この頃です。

2007年3月卒業の若原と申します。現在は東京赤坂にある、TBSテレビという放送局で働いております。私なんかよりも何倍も活躍してらっしゃるOBOGの先輩方の手前、しがないテレビ屋の私がこのような機会を頂戴して恐縮です。もし何かの手違いで気が向いてしまわれ、こちらの文章にお目通しなさった諸先輩方のお時間を奪わないよう、稚拙ながら可能な限り面白く思い出を振り返ってみます。

「過去、いつに戻りたい」と聞かれたら、間違いなく「東高生」と答えます。

彦根東に入学したのは、剣道部顧問の杉浦先生がいらしたからです(もし八幡工業にいらっしゃったら八工生だったので、随分と違う人生になっていたかと思います)。小学生の頃から温かく時に厳しくご指導頂き、東高合宿にもその頃から毎回参加させて頂いておりました。入学時には幸運にも同じ目標を持った同期がたくさんおり、「杉浦先生のもとでインターハイ出場」と熱い気持ちで入学しました。

入学後はもちろん剣道漬けの日々。週7、朝晩武道場で竹刀を振り、家に帰っては試合VTRをテープが擦り切れるまで研究。特に合宿は熾烈を極め、何度意識が飛んだことか…(勢い余って「高校時代に戻りたい」と書きましたが、あのキツさには戻りたくないというのが本音です。笑)ただ、間違いなく”若原誉起”という人間が形成されたのは東高剣道部での2年2ヶ月だったなと思います。

「チャンスの女神は前髪しかない」

これは武道場に貼ってあった箴言の中で私が大好きな一つです。常にその瞬間への準備を怠らず、巡ってきたチャンスは先手で掴みに行く。今でもこの精神は私の根本です。インターハイの夢は3年間で叶いませんでしたが、死に物狂いで夢を追いかけた日々は今でも宝物です。

3年春の剣道部引退後は、120%全力の高校生活を送りました。文化祭&体育祭では応援団長で孫悟空をやってみたり(丸坊主が思わぬ形に昇華)、文化祭で東高体操音源をリニューアルした時には代表して模範演技をしたり(体育の授業ではストレート合格で鼻高々だったが、まさか東高体操で黄色い声援を浴びるとは)、体育祭2位お祝いとして団員100名で打ち上げをした琵琶湖でカップル5組を仲人したり(団長の私は100人に見守られながら玉砕)、”THE高校生”を全力で過ごしました。

一方の勉学はお恥ずかしい限りで、文武両道の彦根東において”武”に全振り、授業は「いかに先生の目を掻い潜り部活に備え休息するか」に全力投球でした。鍛えればその能力も極まるものでして、居眠りしていたクラスの10名程度が先生に見つかってしまい、立たされ怒られる中、私だけ無事回避できたのは日頃の訓練の賜物です(その能力を学びたい現役学生は個別にご連絡ください)。はい、改めてこの場を借りてお詫び申し上げます…。

そんな文字通り不勉強な私でしたが、3年の夏、東京旅行気分で訪れたオープンキャンパスでまさかの東大に一目惚れ。テレビで見た赤門、歴史が残る安田講堂、戦後ロックフェラー財団の寄付によって再建された総合図書館の赤絨毯…身分を弁えず「ここで勉強してみたい(いや、半分以上は「かっこいい」に支配されていましたが)」と思ってしまったことにより、遅ればせながら高校3年8月に私の受験生活が始まります。

進学塾には行かず、職員室の前の例の机に油性ペンで名前を書いて独占し、問題集と職員室を往復する、今思うととても充実した日々。私が東大受験を決意したことを、当時数学ご担当だった伊吹現校長はたいそうお喜び頂き(2年は担任を受け持って頂きましたが、折に触れ東大を進めて頂いておりました)、「大学への数学」を頂いたことはありがたい思い出です。(伊吹先生との忘れられない思い出は、授業中にいきなり始まる全員アンケートです。「『ごくせんのヤンクミ』か『女王の教室の阿久津先生』かどちらが良い先生か?」など、クラス全員に意見を求められる時間は、数学以上にワクワクさせられました。)

とはいえ、模試E判定の受験初心者が半年で合格するほど甘くはなく、3月まで必死で勉強するも合格最低点13点足りず不合格でした。柄にもなく、それこそ身分を弁えず、悔しくて号泣しましたが、でも逆にE判定からそこまで迫ることができた自信から、両親に頭を下げ1年の浪人の末、再挑戦で東京大学理科一類に合格できました。浪人生活は寝るのが惜しくなるほど勉強が楽しく、辞書を5冊カバンに入れ毎日3時間睡眠の中、始発で駿台に通う日々(時間が惜しくてトイレにも1日1回しか行かなくなりました)。合格する確信しかありませんでしたが、いざ合格すると四谷学園よろしく「なんで私が東大に?」を地でいく何とも言えない嬉しさでした。剣道では達成できなかった、ある意味頂点の風景を見ることができたことも感慨深い思い出です。

しかし、最高学府は最高学府。東大の同級生は次元の違う宇宙人でした。「どこでもドアを作る!」と意気込んで赤門を潜ったものの、入学早々に挫折を味わい、大学生活は部活とバイトに明け暮れることになります。

部活は引き続き運動会剣道部。ありがたいことに1年5月時点で学年主将を拝命し、4年次には主将を務めさせて頂きました。東高剣道部の厳しさと東大剣道部のギャップ、80人を率いる難しさ、OBの諸先輩との向き合いなど、私の代で全国に行くことは叶いませんでしたが(前後の代は全国出場しているので、現在肩身の非常に狭い歴代主将となっております)、数々の経験をさせて頂きました。

バイトは飲食です。和民です。東大生なのに(「けしからん!」とお思いの先輩方、一応学習塾や家庭教師はやってみたものの、性に合ったのは体育会系の飲食業でした)。やはり何事にも全力の若原青年は、バイトリーダー&店長代理まで登り詰め、所属した和民王子店はワタミ社内大会(通称WBC:Watami Best-store Challangeship)で関東チャンピオンまで登り詰めましたので、大目に見て頂ければ幸いです。

そんな大学生活でしたが、9割9分が大学院進学をする工学部の中で、教授陣の白い目を感じつつ就職活動を開始します。さらにいかがわしさ全開のテレビ局を受けているということで、学校での肩身の狭い思いをしたのはいい思い出です。7回の面接を無事潜り抜けTBS内定を勝ち取りますが、まさかの1.5単位不足で留年(今でも単位数を計算する夢をみます)。1年多く赤門を潜らせて頂き、一旦は内定をお返ししたTBSに再度7回の面接を通過し、2013年よりTBSに入社しました。(縁故入社が比較的多い業種ですが、前年の内定を武器に”セルフ縁故入社”した異質な奴として、初期のトークネタには困りませんでした)。

入社してからはバラエティ畑で育ちました。「ぴったんこカン☆カン」「オールスター感謝祭」「音楽の日」「炎の体育会TV」「イロモネア」など、演芸班でひよっこADから育てて頂きました。入社1年目の「ぴったんこカン☆カン」では、中井貴一さん、広末涼子さん、安住紳一郎アナウンサーを彦根にお招きし、彦根城やキャッスルロード、総合運動場などを巡るロケで早々に地元に錦を飾ることに。高校時代に朝練として駆け上がっていた石段を、「足軽の気持ちを味わうぞ!」と城好きの安住アナと一緒に駆け降りたことは非常に貴重な思い出です。もちろんテレビのキラキラした面の裏で、前時代的な泥臭い部分もちゃんと経験しました。家に帰れない、風呂に入れない、椅子を並べて仮眠する…働き方改革の波は放送業界にもご多分に漏れず押し寄せてきておきますが、私が最後のオールドストロングスタイル世代です。東高剣道部とはまた違う苦しさでして、まあそれはそれは大変でしたが、これもテレビに憧れを持っていたのでいい経験でした。

ありがたいことに「東大王」というクイズ番組で2代目プロデューサーを仰せつかりました。東大出身にも関わらず学歴というものは皆無の世界で生きていましたが、ようやく少しは仕事に活かせたと思っています。今をときめくクイズ王伊沢くんや鈴木光さんなど、ド素人の頃から(その時私はAD)番組卒業まで(その時はP)、一緒に成長を共にさせてもらいました。
番組とは一つの会社のようなもので、出演者の方はもちろん、番組ADなど制作スタッフ、美術技術など、1つの番組に関わるのは200人を越えます。予算を勝ち取って制作費とギャラと給料を確保し、放送枠を勝ち取って継続して放送し、視聴率を勝ち取って番組を存続させ続ける。私のミスで200人が路頭に迷うというプレッシャーも大いに感じつつ、新たなコーナー開発、配信でオーディション開催、リアルイベントを開催、書籍出版など、放送から外に飛び出すような新しい企画も試しながらの、刺激ある毎日でした。それでも「半沢直樹」や「VIVANT」、「M-1グランプリ」のような世の中を巻き込む「バズり」が起きる大人気番組ではありませんでしたが、青春を過ごした思い入れの深い番組です。

そんな制作生活が大半ですが、編成部で番組編成に関わる会社のど真ん中を経験させて頂いたり、営業部外勤としてスポンサーと交渉をさせて頂いたりと、ありがたいことに比較的テレビど真ん中の仕事をさせて頂いてます。

現在は営業推進部として、新セールスやステマとのバランスを検討、問題時のAC対応など、最前線で朝から晩まで、アキレス腱パンパンになりながらTBSを支える日々を過ごしています。

長々と何の実績もない一個人の思い出話にお付き合い頂き、ありがとうございました。ここまでお読み頂いた方はもうお気づきかもしれません。東大に入ったり、TBSで目立つ仕事をしたりしておりますが、詰まるところ「まだ何の実績を残していない」ただの若輩者でございます。自分の名刺となる成果は何もないOne of Themです。

ただそれでも振り返ってみると「何事も熱意を持って120%全振り」してきたとも思っております。放送業界も「オワコン」というレッテルを貼られることもあるなど、暗い話題ばかりで、私も一介のつまらないサラリーマンになりつつありましたが、今回の原稿を書くにつれて「意外と熱はまだ消えていない」と再認識できました。

杉浦先生に剣道部を卒部後に頂いた言葉で「インターハイに行けなかった悔しさや反省は、明日からのステージで活かせばいい」と頂戴しました。今は日本や世界のエンタメ業界で、最高のひとときを与えられるような、胸張って諸先輩方が後輩を自慢できるような何かを必ず成し遂げたいと意気込んでおります。チャンスの女神の前髪をガップリ掴めるよう、東京でまた一段とがむしゃらに頑張ってきます。


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